G線上のジャリア

〜何も生み出さなかった・続〜

コンテンツ漬けのあの日々を思い出す

最近、世の中についていけなくなったような気がする。

いきなりどうしたんだよと思うに違いないが、休学していることもあって、目まぐるしく世の中が脱コロナに向けて動き出そうとしている様子に、だんだんと違和感が募ってきている。

 

今回は、「あの時代は良かったよ〜」とボサいているジジババの戯言だと思って聞いていただけたら幸いだ。

 

2020年、オリンピックイヤーで賑わっていたあの東京は、そして世界は未曾有の「新型コロナウイルス」に汚染されていた。今はもっと汚染されているけれど、当時の人類はは得体の知れないウイルスに怯えていた。

 

そして、大学は1ヶ月の休校措置ののちにすべてオンライン授業となった。今は原則対面へと変わっているらしいが、私は知らない。だって休学しているもの〜

 

話を戻し(最近は特段これといった話題がないからすーぐ休校をネタにしがちな私だ)、あのコロナ禍。振り返ってみると異常だった。

公園の散歩さえ憚られるくらい。スーパーで食料を買いに行った時は超超長蛇の列。普段全く見かけない50代近いサラリーマンが、テレワークの休憩時間にお使いを頼まれたような光景がよく見かけるようになった。買い物に、全く慣れていない様子だった。

旅行や帰省もとてもじゃないけれど難しかった。

 

その頃の私は、時効だと思うからあえて言うが、生まれて初めてと言っていいくらい、充実した日々を送っていた。毎晩韓国ドラマで愛の不時着でキュンキュンし、トッケビにもキュンキュンし、毎日が「キュンでぇぇぇぇす!!」と胸熱だった。そのせいか幾分肌ツヤが良かったのは、お恥ずかしながら本当である。久々に心と肌が潤う感覚。そして韓国人の肌に憧れて、さらにスキンケアにハマりだしたのもこの頃だった。そして好きな俳優が、いつしかパク・ソジュンになっていった。

 

ここからさらに、韓国沼にはまり、現在はアイドルを推している。

 

今思うと、これまで外交的だと思って生きてきたが、根は内向的だったこと。あの期間は「どうして外に出ないの?」と言われることもなかった。外に積極的に動いている人を見て負い目を感じやすい自分だから、自分なりの理由もなくステイホームできるあの自粛生活はそこまで苦ではなかったなと、悟っている。

 

だから、あの生活は負の日々ではない。自分の心をコンテンツで潤していた、それはそれで豊かな日々だったと思っている。

 

今の世の中の流れも「外に出ないと」とどこか焦っている雰囲気もある。私が一般社会を遮断しているせいなのかもしれないけど、不思議に思っているわけです。

 

そんな戯言でしたん