G線上のジャリア

〜何も生み出さなかった・続〜

四畳半神話大系を読んで私は地味に心に傷を負った

「理想と現実はたいてい同じではない」

これは誰もが一年に一度は悟る内容だろう。

この頃、私は果たして理想的な人生を歩めているのだろうかと不安に思っている。

 

というのも、私は大学受験を機に大きく大学生活が変わってしまった。

 

高校生までの自分は、

「理想の大学で好きな勉強をして、サークルはジャズ研でのうのうとサックス、半地下のライブハウスでそこそこの知り合いが見ている中で一音外したテイクファイブを吹いて、学生起業して年1億プレイヤーになって、旅行しまくって、就活では早期内定で航空会社に働いて金持ちになる」

というどうしようもない夢を描いていた。

きっと、私ならできると思っていた。

 

しかし、しかしだ。今は中学で54点を記録したほど大嫌いな数学を勉強してしまっているし、学生起業どころかサークルにも入らず、目の前にある学祭の資料を作り、バ畜になって家では発狂しレジでは何度もおじいちゃんが聞き返される中でなんとか稼いだものの物欲に弄ばれ、恍惚とした笑みを浮かべて推しを「ぐへへ」と画面上で愛でているだけ。タバコはもちろん酒は一滴も飲まない、夜な夜な街に繰り出さずに静かに家で韓国ドラマで主人公の女優に憑依する荒技を手にした私は、女子大だけに修道女と変わらないが就活もなんとも言えない進み具合、旅行行きたいと思ってもやはり目の前の物欲に負けて貯金ができないという、企業の人事から見るととても採用したくない、なんとも公にできない大学生活を送っている。どうか、人事様よ。このブログを見ないでくれ、私を特定しないでくれ。頼む。

 

 

理想と現実。理想があるから現実がある。逆も然り。

理想があるから比較してしまうのだ。現実と。だから理想なんて作らなければいいじゃんと思ったりする一方で、当然逆も然り。現実なんて無視しておけば頭の中は理想でいっぱいになっている。もはや目の前に起きること全てが理想に見えるという錯覚を起こせばいいだけの話だ。

でも錯覚を起こしたところで、その魔法が解けると強烈な虚無感に襲われないだろうか。

こういったことを悶々と繰り返す私の思考回路は、いつしかベビーパウダーさえも解くことができないくらいの、細やかなチェーンが絡まったネックレスの状態に陥ってしまったのだ。

 

 

そんな私をさらに追い詰めたことがあった。

バイト先で売られていた森見登美彦先生の第二作「四畳半神話大系」2章まで読み終わった今である。

主人公よ、てめえは「大学生活を棒に振った」と言いつつ、どの話も結局は黒髪の乙女といい感じになってしまって、小津がかわいそうだと思わないのか?

てか、私のコロナによるなんとも言えない大学生活に比べちゃあ、全然大学生しているじゃねえかよ。

贅沢な悩み。そして自分の腑甲斐ない大学生活と比べてみなはれ。きっと棒に振ったどころではなく、振り過ぎて修復不可能にまで曲がってしまったというのではないのか。棒にあたる犬もびっくりだよ。

 

私はいつの間にか普通の「一般的」な大学生ではなく、本当につまらない大学生成り下がっていた。いや、成り下がるも成り上がるもない、既に運命づけられていたのだ。辛い。この小説で私は地味に心に傷を負った。

 

大学生。人生の夏休みと比喩される時代。時々、夏休みだなと思う節は確かにあるのだが、社会人がよく口にする「あの時代はよかった」とは到底思えない。確かにそこまでの責任は負わないし、まだ扶養に入っているため、実際のところまだ子供だなと思う。子供ゆえの楽さは確かに存在する。

しかし、「あの時代はよかった」と。そんなに社会人は辛いのか、それとも彼らはそこまで遊んでいたのか。真偽は明らかではないが、おそらく前者であると信じている。

 

そういえば、高校生活でも同じだ。今でも「あの時代はよかった」と微塵も思わない。

 

世間的には「JK」という生物は人類最強説をしばしば唱えれられているようだが、当時を過ごした私にとっては正直最強という自覚はなかったし、制服ディズニーはおろか、高校にはなぜかシャツにジーパンというなんの変哲もない服装で通って、放課後に行っていたのは原宿の竹下通りでもなく近くのイトーヨーカドーの地下一階にあったベンチでおばあちゃんと並んでスーパーカップを食っていた思い出しかない。地味だ。おまけに学校では様々な悪行を起こし、きっと裏では「◯◯高校史上最強のA・H・O☆」と言われていたのに違いない。

 

 

恥ずかしい。今思うと消し去りたい黒歴史の一つ。いや、Nつ(N→∞)。

 

 

 

私はこれまでの人生で、正直「理想のプランだ」と思う出来事に巡り合ったことがなかった。高校はもちろんのこと、現在も、だ。

 

あの小説の言葉をお借りすると、『私が過去を天真爛漫に肯定していると思われては心外』である。けど、「これが私の人生だ」といい意味で諦めて、胸を張っていかなければならない時期にも差し掛かっているような気がする。今のところ、自分自身を大きな愛情を持って抱きしめることが私にできる唯一のことだ。これはあの主人公と違うところだと言い張りたい。

 

そんなところ今日は終わり。最後までお読みいただきありがとうございました。ちゃんちゃん。